Friday, October 19, 2012

どんでん返し



最近、授業のために星新一の小説をよみました。この授業で星新一の「どんでん返し」に興味を持つようになりました。小説を読む前に、どんでん返しがあ るということを知っていましたが、どのような終わりか楽しみでした。実はどんでん返しといえば、探偵小説のようになるという気がします。でも、星新一のどんでん返しはいつも予測しにくいです。

三年生のとき「おーいでてこーい」 いう不思議なショートショートを見て、最後まで「終わりは一体なんだろう」と思いながら、楽しみました。このアニメーションも小説と同じで、短くて簡単な内容で したが深い意味が有りました。例えば、「リンゴ」の話ではもっと人間の夢と事実な生活の心理的な関係があるというテーマも出ました。そして、「なぞの女」 ではお酒の文化と男女関係のことも出ました。

その二つの小説は面白いと思いました。「なぞの女」にとって、記憶喪失の結論は私が思ったのと全然違います。夫婦の関係を全然考えませんでした。また、星新一の短い小説を読みたいと思います。

Wednesday, October 17, 2012

交流の壁



個人プロジェクトの最初のポストでワーキングマザーのブログについて書きました。私はそのブログでポストをして、返事を待ちました。でも、大変なことになりました。その私のコメントはそのブログにポストしなかったようです。だから、交流の壁になって、私は自分のアプローチを変えないとだめだと思います。

新アプローチ

 私が知っている日本人のワーキングマザーに前のブログを紹介して、そのブログに関する意見と体験の話をもらうということは新アプローチです。

実は日本語の先生にお世話になりました。一人の先生もうコメントしてくれました(最初のポストにあります)。そして、ごく最近に他の日本語の先生は自分のワーキングマザーの友達に私の質問を聞いてくれます。その上に私は前のホストファミリーのお母さんにも聞いています。

このプロジェクトは進歩します。

Monday, October 15, 2012

カタカナ語で翻訳する

生物学の翻訳

翻訳って一体なんでしょうか?

 左側の不思議な絵を見たら、すごく複雑ですね。実はこの絵は生物学の「翻訳」で、言語の翻訳と全然関係が有りません(笑)しかしながら、言語の翻訳も不思議でしょう!少なくとも日本語に翻訳された作品はそうだと思います。





英語から日本語に翻訳された作品の題名は時々カタカナ語だけです。例えば、「The Catcher in the Rye」というアメリカの小説です。でも、村上春樹が翻訳された題名は。。。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」です。

私の最初の反応は「えっ?」 しかなかったです。
でも、その後で一つの疑問が生まれました:「日本語に翻訳されたスペイン語の小説の題名はどうですか?」。


その質問を答えるために、ちょっと調べました。ガルシア・マルケスは私が一番好きな小説家の一人なので、この小説家の作品を探して、次のサイトを見つけました。

サイトを見たら、カタカナ語の題名が一つもないということがすぐに分かります。
 でもどうして「Cien Años de Soledad」という小説の題名は「シエン・アニオス・デ・ソレダド」じゃなくて「百年の孤独」なんでしょうか?「キャッチャー・イン・ザ・ライ」もそんなに分かりやすくないでしょう!「不思議だなあ」と思ってしまいました。その原因は多分日本の社会、文化と関係があるのかなと私は思います。

では、翻訳の目的はなんですか?ある翻訳理論家にとってその目的は元の言語から対象の言語に直訳するということだけではなく。その上に、作品は対象の言語の文化と社会に合わせて翻訳するという目的です。つまり、英語よりスペイン語の方が「外国語」と思われているかもしれません。どうしてかというと、日本で英語の影響は本当に強いからです。
前のポスト覇権的言語に関するポストを読めば分かるかもしれません。)

ですから、日本では英語が分かる人が多くて、カタカナ語も人気じゃないかと思います。もっと大切なのは村上春樹は 「シエン・アニオス・デ・ソレダド」を翻訳しましたので、カタカナ語でもよかったです。でも、もしほかの人気じゃない小説家はカタカナ語の題名を書くとしたら、出版されない可能性がありますね。


Monday, October 8, 2012

二言語に自信がある(のかなあ。。。)

二言語併用主義というのはなんでしょうか?日本語を勉強している人たちにとって、この言葉は口言葉のように言いにくいかもしれません。でも、簡単に言えば「バイリンガル」という言葉と同じです。
バイリンガル:英語とスペイン語
「バイリンガルというのはいいですね」と思っているかもしれません、ちょっと待ってください。上の絵が表しているバイリンガルの能力は子供の時から二言語の環境で育たなかった人に当てはまりません。

先週の授業で、英語で討論する時英語母語の人たちは負ける可能性がないということを話し合いました。私が最初に書いたブログポストでは、英語と国際語の関係について書きました。過半数のバイリンガルの人々は英語と他の言語が話せるので、英語母語の人々はアドバンテージがあると言えるでしょう。だから、自分の英語能力に自信がない英語母語じゃないバイリンガルの人々は英語で討論する時に相手の意見を受けて、自分の意見を伝える事を諦めます。



怖いでしょう!




Saturday, October 6, 2012

ワーキングマザーに手を差し伸べる

今年日本語の授業で学生の皆さんはコミュニティープロジェクトに頑張っています。私のプロジェクトは卒論と関係があります。論文のテーマは日本の少子問題対策なので、私は日本のお母さん達とコミュニケーションをしたいと思います。どうしてかというと、今の少子化対策は日本の女性と関係がありますから。

 今日は本当に面白いブログを見つけたので、本当に嬉しいです。このブログの筆者は二人目の子供を産む予定について書きました。読んだ後、私はコメントをして、紹介しました。理想的にはその筆者から返事が来るということなんですが、今待たなくては行けません。


不思議なポニョ

ポニョという映画見たことが有りますか?


この映画は宮崎駿が作った映画なんだけど、この映画はたくさんの人に批判されてしまいました。宮崎の映画はいつも深いメッセージがありますので、世界中で有名です。しかし、ポニョという映画は表面的な映画で子供のためだけだと言われています。でも、私の個人な考えではポニョも深くて、色々な社会的な問題を伝えています。


家族構成
一つの問題は家族構成ということです。この映画ではリサさんは子供を育てたり、家の仕事したりする以外に、まだ老人の介護というアルバイトがあります。リサのご主人はいつも
仕事で海に出ていて、家にいなかったので、リサのストレスが高かったようです。だから、リサを通して、宮崎は働く女性の責任が重いという状況を伝えたいと思います。



ご主人は帰れなくて、リサが怒ってしまいました。














学生が一人の観察では
リサは忙しくて、よく簡単な料理を作ります。



人口問題:高齢化社会と少子化問題
そして、この映画では大人と老人が多いけど、子供が少ないので、この状況は日本の人口問題を表していると思います。どうしてかというと、男の子が一人と女の子が一人の愛情は、世界を助けたという終わりが有りましたからです。そうして、そうすけさんが助かった人たちはお母さんと養護ホームのおばあさん達でした。

終わりに
ポニョという映画が表す社会問題は全部複雑で、解決するのは難しいです。この映画で、私が一番好きな場面でリサさんはそうすけに不思議な事がいっぱい起こってるけど、今はなぜなのか分からない。でも、そのうちに分かるでしょう。」私にとって、リサが言ったことは道理にかなっていると思います。人々は分からない事件が起こったら、よく「不思議だ」と思うからです。

皆さんこの映画にどんな意見を持っていますか。もちろんこの映画は楽しくて、可愛い映画だと思いますので、全然深い意味がないという考え方あっても大丈夫です。

Monday, October 1, 2012

外国語を使って、コミュニケーションする


本名の信行(ほんな・のぶゆき)という日本の先生によると日本人は「自分の規範を相手に説明することが下手」です。英語では相手に説明したり自分の意見を言ったりするのは基本的なスキルなんですが、日本ではそういう訳じゃないらしいです。


一般的にはコミュニケーションするために、相手の意見を聞いて、受容して、また自分の意見を言ったり説明したりするという順序だと思います。でも、相手に説明することが出来なかったら、コミュニケーションが甘く行けないでしょう。討論するときに一人は自分の意見を押し付けることはだめです。一番大切なことは相互理解という事だと思います。

でもはっきり言えないときはどうすればいいですか?
時々外国語で説明するのは本当に大変です。例えば、もし日本語で「beating around the bush」という英語のフレーズを使いたかったらどうすればいいですか?多分「はっきり言わない」と同じ意味なんですが、私は授業で「話すときポイントの周りに巡る」といってしまいました。多分変な日本語だと思いますが、相手は私が言いたいことが分かりました。でも、日本人はこのようなスキルがないそうです。皆さんがしている日本人はどうですか?